以前に、このテーマで動画を作りましたが、短すぎて、ちょっと内容が乏しいこともあり、動画を作り直すことにしました。
日本の古代についての動画をかなり作ったと思っていたのですが、依然として「古事記と日本書紀は嘘バッカリ」とか、よくわからない、というコメントもあり、もう少し詳しく作り直します。
世界で二番目に古い歴史を持つデンマークではゴーム王の時代から、三番目のイングランドではノルマンディー公ウィリアムの時代から、同じ王朝が続いているわけですが、2000年を超える歴史を持つ世界最古の国である我が国では、ずっと男系で同じ王朝が続いています。
ゴーム王にせよ、ノルマンディー公にせよ、何しろ1000年くらい前なので、いかなる人物だったのか、記録があまり残っていません。古すぎてわからないのです。日本でいうと、平安時代ですね。
ところが、我が国の場合、2000年以上も前に建国されたにも関わらず、その前の、神話から伝説に繋がって歴史となる、建国の記録がきちんと残されています。我々の先祖がきちんと「古事記」、「日本書紀」という歴史書を残してくれたからです。聖徳太子と蘇我馬子(そがの・うまこ)が編纂して、現存していない「天皇記」(すめらみことのふみ)と「国記」(くにつふみ)が元になっていると言われております。
「古事記」と「日本書紀」は、天武天皇の時代から編纂が始まりましたが、「古事記」が完成したのが、和銅(わどう)5年、西暦712年で、「日本書紀」がちょっと後で、養老(ようろう)4年、西暦720年に完成しています。
同じ時期に、二種類の歴史書が作成されたのですが、「古事記」と「日本書紀」は、編纂の方針、目的が違っていて、「古事記」は、主に天皇の存在や皇位継承の正統性を示すということが目的でした。これに対して、「日本書紀」は支那の歴史書にならい、正史として書かれました。なので、日本の神話や伝説、あとは、出雲神話などについては、「古事記」の方が詳しく書かれています。
「日本書紀」では、神話のエピソードのかなりの部分が省略されています。正史なので、あやふやなことについては、触れていないのでしょう。
しかも、わかりにくい事に、「日本書紀」では、1つのエピソードについて、いくつもの型を細かく説明していたりします。なので、重複も少なくありません。ある人物について、3種類の型で書かれていたりするので、読んでいてややこしかったりします。
「日本書紀」は日本の正史なので、そもそも分量が多いわけです。で、各地の言い伝えであったり、そういうものを事細かに書いています。全30巻と系図1巻あるので、一般の人が読み込むには、取っ付きにくいと思われます。
「古事記」も「日本書紀」も「天地開闢」(てんちかいびゃく)から始まっている点は、共通しています。日本列島がいかにして作られたか、という日本創生の物語です。「あやふやなことについては、触れていない」と言っても、なにしろ、神話の時代から国が続いているので、ここを省くと、国の成り立ちについて、の根本がわかりません。
例えば、「神話の国」と呼ばれているギリシャですが、古代ギリシャのトロイ戦争におけるギリシャ側の総大将のミケーネ王、アガメムノンは、ギリシャ神話の主神であるゼウスの玄孫(やしゃご)、つまり、ひ孫の子です。
ところが、その後、古代ギリシャがローマ帝国に征服されてしまい、その後、今のトルコのイスタンブールを中心とした東ローマ帝国という国になり、それがオスマン帝国に滅ぼされて、1830年にオスマン帝国からやっと独立して、ギリシャ王国になりました。その王様はドイツのバイエルンから来たオットー・フォン・ヴィッテルスバッハ王子でした。その後、内戦があったり軍事独裁があって、王政が廃止され、ギリシャ共和国になりました。。当たり前ですが、王政時代のギリシャの国王が続いていたとしても、ギリシャ神話のゼウスの血を引いているなんてことはあり得ないわけです。つまり日本国が滅びると、神話の時代から続いている国が、世界から消滅することになります。
だからこそ、日本の歴史を語る場合は、世界で唯一、日本だけ、神話から解きほぐす必要があり、これを省くと、日本の歴史の大本を無視することになってしまうわけです。
大東亜戦争敗北までは、学校で「国史」を教える上での常識だったのですが。GHQの政策上、自虐史観という日本を貶めるような歴史観の歴史教育が始まり出した事で、真面な歴史教育がなされなくなっていきました。逆に神話時代から歴史を知ることが、現在の日本の混迷を打ち砕く1つの鍵になるのではないかと思っています。
普通の人は訳分からなくなるかもしれませんが、「古事記」にしても「日本書紀」にしても、とにもかくにも、やたらと神様が登場しますが、それぞれの神様が複数の名前を持っていたりします。
例えば出雲大社に祀られている大国主神(おおくにぬしのかみ)は、大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)、伊和大神(いわ の おおかみ)、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)、地津主大己貴神(くにつぬしおおなむち の かみ)、幽世大神(かくりよ の おおかみ)、杵築大神(きづき の おおかみ)、葦原色許男(あしはらのしこを)、など、複数の名前を持っています。
当チャンネルの動画では主として「古事記」の表記を用いて、比較的よく使われている名前で神様や歴史上の人物の呼び名を統一することにします。そうしなければ、皆さんが混乱してしまって、内容がわかりにくくなってしまいますから。
「古事記」では、このように書かれています。
天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
(「天と地が初めて分れて、高天原(たかまがはら)に現れた神の名前は天之御中主神(アメノ・ミナカヌシ・ノ・カミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビ・ノ・カミ)、次に神産巣日神(カミムスビ・ノ・カミ)です。この三柱(みはしら)の神は、奥さんや子供のいない独神(ひとりがみ)で、姿かたちもありませんでした。
ここで、一応、説明しておきますが、神様の数え方は、一人、ニ人、と数えるのではなく、。一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)と柱で数えます。古来より自然の中に神々の存在を感じていた日本人は、森の木々や山・川の中にも神様が宿ると信じていました。だから八百万の神になってしまう訳です。ということで、神道(しんとう)では、特に木々を大切にします。家の中心にあるのは大黒柱って言いますよね。これは日本人の宗教観によるものです。日本人は自然の中に住まう神々を柱と呼んでいた証拠なのでしょう。
天之御中主神は宇宙を統一する神、高御産巣日神と神産巣日神は宇宙生成を司る神。高御産巣日神(タカミムスビ・ノ・カミ)は高天原(たかまがはら)系で天皇の潮流に強く関わり、神産巣日神(カミムスビ・ノ・カミ)は国津神(くにつかみ)系で出雲神話にも登場します。天之御中主神(アメノ・ミナカヌシ・ノ・カミ)はその二柱の上に位置し統率する印象なのですが、どうやら二柱が先にあって、後から足されたのではないか、とも思われます。
というのも古事記を読み進めていると、「三と五と七は良い数字である」という考えが出て来ますが、それで数合わせで作られたという説が有力だからです。ただし、天之御中主神という神は秘神で、限られた氏族が奉じていたために、神話に登場しないだけではないかという説もあります。
その後も、天や地において次々に神世七代(かみのよ・ななよ)の神様が現れました。最後に、やがて日本を創生することになる男の神様、伊邪那岐神(イザナギ)と女の神様、伊耶那美(イザナミ)が現れました。
最初に宇宙に登場した三柱(みはしら)の神々は、伊邪那岐神と伊耶那美に天地開闢を命じました。
国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂えるとき、是の多陀用弊流国を修め理り固め成せ。
「地上のありさまを見るに、まだ油のように漂っているばかりである。お前たちは、この国を人の住めるように作り上げよ。」
混沌の海に、油のようなものがプカプカと漂っている状態だったところへ、伊邪那岐神と伊耶那美は三柱の神々から受け取った天沼矛(あめのぬぼこ)という玉飾りが施された美しい矛を持ち、天と地の間にかけられた「天の浮橋」(あまのうきはし)の上に立ち、天沼矛を海の上に漂っている油に突き下ろして、グルグルとかき混ぜました。その後、矛を引き上げると矛の先を伝わって、1滴1滴と滴り落ちた塩が次第に積もり固まって、島になりました。島の名前は淤能碁呂島(おのごろじま)と言います。天の浮橋から淤能碁呂島に降りた2柱の神々は、そこで結ばれまして、8人の子どもを生みました。
子どもって神様ではなくて島のことを指します。生まれた島は、淡路島、四国、隠岐諸島(おきしょとう)、九州、さらに壱岐島(いきのしま)・対馬(つしま)・佐渡島(さどがしま)と生まれて、最後が本州です。その後、二柱(ふたはしら)は、次々に子どもならぬ島を生み、島国である日本列島が誕生しました。ちなみに、最初に生まれた8つの島を大八島(おおやしま)と呼びます。
島を生み終わった二柱の神々は、今度は次々に神様を生んでいきました。今度は、島じゃなくて神様です。厳密には、生んだのは伊耶那美ですが。最後に伊耶那美が火の神である火之迦具土神(ひの・かぐつち・の・かみ)を生んだ際に、伊耶那美は陰部を火傷してしまい、その後も続けて、神様を産み続けるのですが、火の神を産んだことで黄泉国(死者の国)へと旅立ってしまいました。
伊耶那美を失って怒り狂った伊邪那岐神は、さっき生まれた火之迦具土神を十拳剣(とつかの・つるぎ)で切り殺して、伊耶那美を比婆山(ひばやま)に埋葬しました。とはいえ、伊邪那岐神は死んでしまった奥さんの伊耶那美に会いたいという気持ちを捨てきれずに、黄泉の国まで会いに行くことになります。
「黄泉の国」っていうのは、要するに「死者の国」ですが、黄泉の国に赴いた伊邪那岐神は、入り口の塞がれた戸で出迎えた伊邪那美に、
「愛しき我が那邇妹の命、吾と汝と作れる国、未だ作り竟へず。故、還るべし。」
「愛しい我妻よ。私がお前と一緒に作った国は、ただ形を作ったというばかりで、まだ本当に完成しているわけではない。私には、まだお前の助けが必要なんだ。どうか私と一緒に、もう一度戻ってきてはくれないだろうか。」
と訴えました。
すると、伊邪那美は、
「悔しきかも、速く来ずて。吾は黄泉戸喫為つ。然れども愛しき我が那勢の命、入り来坐せる事恐し。故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ。我をな視たまひそ。」
「もっと早く来てくださらなかったことが悔やまれてなりません。もう遅すぎるのでございます。私は、この黄泉の国で不浄の火と水で炊いた食物を口にしてしまいました。私の体は、もう汚れています。それでも愛しい背の君がこうして私をお迎えにわざわざお出でになったというのは、本当に嬉しくてありがたいことなのでございますから、私としましては飛び立っても帰りたい気持ちになりました。しばらくの間、この国の神々に相談して、帰ってよいかどうか伺ってみましょう。ただ、お断りしておきますけれども。その間は、私の姿をご覧にならないでくださいませ。」
と答えました。
よく聞く話なのかもしれませんが、伊邪那岐神は、御殿の中に帰ったまま、いつまで待っても伊邪那美が帰ってこないので、耐えられなくなって、決して覗いてはいけないという伊邪那美との約束を破ってしまいました。
伊邪那岐神は角髪(みずら)に挿していた櫛の太い歯を一本折り取って、火をともして、内部に入って見ましたところ、伊耶那美は腐敗して蛆(うじ)にたかられ、八柱の雷神(いかづちのかみ)に囲まれていました。ビックリした伊邪那岐神は、地上へ逃げ出しました。
で、八雷神(やくさ・いかづちのかみ)、それに黄泉醜女(よもつ・しこめ)。そして伊耶那美が伊邪那岐神を追いかけて来ました。伊邪那岐神は、山ブドウ、タケノコ、辺りに生えていた桃の実を投げつけて難を逃れました。ようやく地上に出た伊邪那岐神は、黄泉の国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を千引きの岩で塞ぎました。するとイザナミが呪いの言葉を発しました。
「愛しき我が那勢の命、如此為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ。」
愛しい伊邪那岐神、もしあなたがそのような酷いことをなされるならば、あなたの国の人々を1日に1,000人ずつ縊り殺してあげましょう。
それに対して、伊邪那岐神はこのように返しました。
「愛しき我が那邇妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋立てむ。」
愛しい我妻よ。お前がそんな非道なことをするならば、私の方は1日に1,500の産屋を建てて、子どもを生ませることにしよう。
というわけで、その後の日本では、1日に必ず1,000人の人が死に。代わりに、1日必ず1,500人の人が生まれることになったのでした。ちなみに、伊邪那岐神が逃げてきた黄泉比良坂は、島根県に現存しています。
這う這うの体(てい)で現世に帰ってきた伊邪那岐神ですが、黄泉の国の汚れを落とすために、禊(みそぎ)を行うと、またまた神様が生まれて来ました。で、最後に伊邪那岐神の左目から天照大御神(あまてらす・おおみかみ)、右目から月読命(つきよみの・みこと)、鼻から、建速須佐之男命(たけはや・すさのお・の・みこと)という三貴子(さんきし)が産まれました。。3人の尊い子どもですね。伊邪那岐神は三貴子に、それぞれ高天原(たかまがはら)・夜・そして海原の統治を委ねました。
