「国譲り(くにゆずり)」は、日本神話において、天津神(あまつかみ)が国津神(くにつかみ)から葦原中国(あしはらの・なかつくに)の国譲りを受ける説話です。
大国主(おおくにぬし)という国を作った英雄が登場します。大国主は須佐之男(すさのお)とは全く違います。須佐之男が元「悪」の英雄だとしたら、大国主は完璧な「善」でしょう。
かといって須佐之男と大国主がまったく違う文化系統かというとそういうわけではなく、出雲の東は須佐之男系神社、西は大国主系神社と、住み分けがあることから、どこかで融合したのではないかと思われます。
そもそも、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、国津神(くにつかみ)の主宰神(しゅさいしん)とされておられ、神須佐之男の昆孫(こんそん)、つまり、ひ孫のひ孫、に当たる神です。多くの別名を持っており、大穴牟遅神(おおなむち・の・かみ)、葦原色許男神(あしはらの・しこおの・かみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつし・くにたまの・かみ)の五つの名前がある、と『古事記』にあるが、他にも『日本書紀』、『風土記』、その他、祝詞(のりと)、などで多数の名前で記載されています。
そもそも、大国主神というのは、後に、須佐之男から付けられた名前で、大穴牟遅神(おおなむち・の・かみ)と呼ばれていた頃から、解説していきます。とはいうものの、色々と名前が変わると分かりづらいので、大国主神で統一します。
この大国主神には、80柱(はしら)の腹違いの兄弟、つまりお母さんが違う兄弟がいました、兄弟神はみんな、大国主神に国を譲ってしまいました。その理由というのが、
然れども皆国は大国主神に避りき。避りし所以は、其の八十神、各稲羽の八上比売を婚はむの心有りて、共に稲羽に行きし時、大穴牟遅神に袋を負せ、従者と為て率て往きき。
「しかし兄弟神はみんな、大国主神(オオクニヌシ神)に国を譲ってしまいました。その理由というのが……
その八十神(やそがみ)の兄弟神はそれぞれ因幡の八上比売(ヤガミヒメ)に求婚しようと思っていました。そこで因幡に行くときに、大穴牟遅神(オオナムチ・ノ・カミ)に袋を負わせて従者のように連れて行ったのです。」
と「古事記」にあるのですが、よくわかりません。国を譲ることとパシリに使うのには、何か関係があったのでしょうか。「古事記」には詳しく書かれていないのでわからないのですが、もしかしたら、この背負った袋の中には、兄弟の八十神(やそがみ)達から譲られた、今でいうと、国の権利書のようなものが入っていて、それを担いでいたのでしょうか?
気多(けた)の前を通るときに、皮を剥がれたウサギが倒れていました。
八十神(やそがみ)達がそのウサギに言いました。
「汝為むは、此の海塩を浴み、風の吹くに当りて、高山の尾の上に伏せれ。」
「傷を治すには、海水を浴びて、風に当たり、高い山の頂上に寝ていなさい」
ウサギは八十神(やそがみ)達の言うとおりにして、山の上に寝ました。
浴びた海水が乾くと、ウサギの皮膚が風に吹かれてヒビ割れました。
ウサギは痛み苦しんで、泣いていました。
すると最後にやってきた大国主神(おおくにぬしのかみ)がそのウサギを見て
「何由も汝は泣き伏せる。」
「どうして、お前は泣いているんだ?」
と聞くと
ウサギは答えました。
「僕淤岐の島に在りて、此の地に度らむとすれども、度らむ因無かりき。故、海の和邇を欺きて言ひけらく『吾と汝を競べて、族の多き少なきを計へてむ。故、汝は其の族の在りの随に、悉に率て来て、此の島より気多の前まで、皆列み伏し度れ。爾に吾其の上を蹈みて、走りつつ読み度らむ。是に吾が族と熟れか多きを知らむ。』といひき。」
「わたしは「沖の島」にいました。それで、ここに渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで海のワニザメを騙して、
『わたしとあなたと、どっちの同族が多いか数えたい。そこで、あなたはワニの同族を集めて、この島(沖ノ島)からケタ(気多)の前まで並んでください。そうしたら、その上を飛んで走りながら数えましょう。これでわたしのウサギの同族とどちらが多いかわかります』と言いました。」
そう言うと、騙されたワニが列になって伏せているときに、わたしはその上を踏んで数えながら渡りました。
今、地に降りようと言うときに私は言ったのです。
『汝は我に欺かえつ。』
『お前はわたしに騙されたのだよ』と言い終わるや否や、列を成していた一番端っこのワニが、わたしを捉えて、衣服を身包み剥いでしまったのです。それで泣いていると、八十神の兄弟神達が来て、
『海塩を浴み、風に当りて伏せれ。』
『海水を浴びて、風に当たって伏せていろ!』
と教えてくれましたので、その教えのとおりにしていると、全身傷だらけになりました」
とウサギは言いました。
傷だらけの体に塩水をかけて風にさらしたわけですから、当然ですね。八十神(やそがみ)達は単に意地悪だっただけのようですが。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は
「今急かに此の水門に往き、水を以ちて汝が身を洗ひて、即ち其の水門の蒲黄を取りて、敷き散らして、其の上に輾転べば、汝が身本の膚の如、必ず差えむ。」
「今すぐに水門(ミナト)に行き、水でお前の体を洗って、すぐにその水門(ミナト)に生えている蒲黄(ガマの花粉)を取って、敷いて寝転がれば、お前の体は元の肌に必ず治るだろう」と言いました。
教えどおりにすると、ウサギの体は元通りになりました。
因幡(いなば)の白兎はワニザメに襲われた哀れな小動物ではなく、白兎神(しろうさぎのかみ)という神様だったのです。それで、大国主神に、
「此の八十神は、必ず八上比売を得じ。袋を負へども、汝命獲たまはむ。」
「八十神の兄弟神は必ず八上比売(ヤガミヒメ)を得られないでしょう。
袋を負っていても、あなたが娶るでしょう」と告げました。
「古事記」では、この後、八上比売(やがみひめ)が八十神(やそがみ)達に
「吾は汝等の言は聞かじ。大穴牟遅神に婚はむ。」
「わたしはあなた方の言うことは聞きません。大国主神(おおくにぬし)と結婚します。」
という、八十神への拒絶から入ります。どうやら前の段とこの段の間に八十神達が求婚する場面があったと思われるのですが、現存していません。
というか、本気で大国主のことが好きならば、兄弟を怒らせないように、もっと言いようがあるような気がいたしますけれども。
八十神(やそがみ)の兄弟達は怒って、大国主神(おおくにぬしのかみ)を殺そうと思い、相談して伯耆国(ほうきのくに)の手間(てま)の山の麓(ふもと)にやって来て言いました。
「赤き猪此の山に在り。故、和礼共に追ひ下しなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ。」
「赤い猪(イノシシ)がこの山に居る。我々が追って下へと降りたら、お前は待ち伏せして捕らえろ。もし待ち伏せして捕まえないなら、必ずお前を殺す」
八十神達は猪に似た大きな石に火をつけて、大国主神に向かって転がし落としました。大国主神は、落ちてきた焼けた石を抱きとめて黒焦げになって死んでしまいました。
嫉妬から、ヤキモチなんて甘いものじゃなく、火をつけた石を山の上から転がして大国主神を殺してしまいます。残酷。
しかし「猪を捕らえろ、捕らえないと殺すぞ」、と言うあたり、もう無茶苦茶という気がします。
大国主神が死んだことを知った母の刺国若比売(さしくにわか・ひめ)は嘆き悲しんで、高天原(たかまがはら)にのぼり、神産巣日之命(かみむすび・の・かみカミムスビ命)に救いを請いました。
すると、神産巣日之命は
貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)を派遣して、大国主神を治療・蘇生させました。
どうやって治したかというと
貝比売(きさがいひめ)は貝殻を削り、粉を集め、
蛤貝比売(うむがいひめ)は(ハマグリの汁で溶いた)母の乳汁を塗ったところ、大国主神は立派な男子となって元気になりました。
貝(きさがい)は赤貝の古代の呼び名で、蛤貝(うむがい)は蛤(ハマグリ)の古代の呼び名。どちらも貝を擬人化した女神ということです。
生き返った大国主神を見た八十神達は、また大国主神を騙して山に連れ込み、大木を切り倒して楔(クサビ)を打って開いたところに、大国主神を入らせ、その途端に兄弟神が楔(クサビ)を引き抜き、木に挟まって大国主神はまたも死んでしまいました。
めったにない殺され方だと思いますが、弥生時代当時には、楔(クサビ)で木を広げ、楔を引き抜き、木が閉じて、挟まる、という、こういった木材加工が社会一般的な知識としてあったのであろうことがわかります。
それで、母神の刺国若比売(さしくにわか・ひめ)が泣いて大国主神を探し求め、見つけることが出来、その木を折って、助け出して蘇生させました。大国主神に、
「汝此間に有らば、遂に八十神の為に滅ぼさえなむ。」
「お前はここに居たら、八十神に滅ぼされてしまう」
と言い、紀国(きのくに)の大屋毘古神(おおやびこ・の・かみ)のもとに大国主を送りました。
ところが、兄弟神が探して追って大屋毘古神のもとへやって来ました。
弓に矢を添えて構え、大国主神を引き渡すよう求めました。
そこで大屋毘古神は大国主神を木の股から逃がし
「須佐之男命の坐します根の堅州国に参向ふべし。必ず其の大神、議りたまひなむ。」
「須佐之男命(すさのお・の・みこと)の居る根の堅州国(ね・の・かたす・くに)に行きなさい。きっと、その神がよい考えを持っているから」と言いました。
大屋毘古神に言われたままに大国主神は須佐之男命(すさのお・の・みこと)の元へとやって来ました。すると須佐之男命の娘の須勢理毘売命(すせりびめ・の・みこと)が出てきて、大国主神の姿を見て、互いに目があって、そのまま結婚してしまいました。
須勢理毘売命が御殿に帰って父の須佐之男命に
「甚麗しき神来ましつ。」
「素敵な神がいらっしゃいました」と言いました。
大神(おおかみ)こと、須佐之男命(すさのお・の・みこと)は御殿を出て見て、
「此は葦原色許男と謂ふぞ。」
「あれは葦原色許男(あしはら・しこお)と言う奴だ!」と言いました。
それで、すぐに大国主神を御殿に呼び入れて、蛇の部屋に寝かせました。
妻の須勢理毘売命(すせりびめ・の・みこと)がその夫である大国主神に蛇の比礼(ひれ)を授けて言いました。
「其の蛇咋はむとせば、此の比礼を三たび挙りて打ち撥ひたまへ。」
「蛇が食いつこうとしたら、この比礼(ヒレ)を三回挙げて打ち振って払ってください」
教えのとおりにすると、蛇は静かになりました。それで平穏無事に寝て、大国主神は蛇の部屋を出ました。
次の日、大国主神は呉公(むかで)と蜂の部屋に入れられました。
しかしまた呉公(むかで)と蜂を祓う比礼(ひれ)を須勢理毘売(すせりびめ)から授けられて、同様にしたので、何事もなく部屋から出てきました。
今度は、須佐之男命(すさのお・の・みこと)は、鳴り鏑(なりかぶら)を原っぱに撃ち、その矢を取って来るよう、大国主神に命じました。
大国主神が矢を探しに、原っぱに入ると、須佐之男命は火を放って、焼いてしまいました。
逃げようにも逃げられない……と困っていると、鼠(ネズミ)が大国主神の元にやってきて、
「内は富良富良外は須夫須夫。」
「中はホラホラ、外はスブスブ」と言いました。
大国主神はその場を踏みしめました。すると、地面下が空洞になっていて、踏みしめた地面が割れて、落下してしまいました。
そのまま隠れている間に野火は焼きつくして消えてしまいました。
その鼠(ネズミ)が、鏑矢(カブラヤ)を咥えて出て来て、大国主神に渡しました。
矢の羽はその鼠(ネズミ)の子供が食いちぎっていました。
妻の須勢理毘売命(すせりびめ・の・みこと)は大国主神(おおくにぬし・の・かみ)が死んだと思って喪具を持って、泣きながらやって来ました。
その父の大神(すさのお・の・みこと)も大国主神がすでに死んだと思って、焼いた野原に出てみると、大国主神が鏑矢(かぶらや)を須佐之男命(すさのお・の・みこと)に差し出しました。
須佐之男命は大国主神を家に引き入れて、八田間の大室(やたまの・おおむろや)に招き入れて、その頭の虱(しらみ)を取らせました。大国主神が頭を見ると呉公(むかで)がいっぱい居ました。
妻の須勢理毘売命は牟久(むく)の木の実と赤土(あかつち)を、大国主神に授けました。大国主神はその木の実を食い破り、赤土を口に含んで吐き出すと、その大神(すさのお・の・みこと)は呉公(むかで)を噛み砕いて吐き出しているのだと思って、「かわいいやつだ」と寝てしまいました。
娘を取られた義父の嫉妬からの嫌がらせに耐えに耐え、ついに信任を得た大国主神。一連の苦難を成人儀礼と考えると何か崇高な寓話という感じがするのですが、娘をどこの馬の骨とも分からない奴に寝取られた男親の嫉妬と考えると、なんとも人間臭さを感じます。
大国主神から見れば、兄弟から、二度も殺され、母親のツテでかくまって貰っていた大屋毘古神(おおやびこ・の・かみ)は当てにならず、大屋毘古神(おおやびこ・の・かみ)の紹介で尋ねてきた須佐之男命にまで、この苛めを受けるのでは、八十神達と大差ないじゃないかと愚痴りたくもなるものです。が、
大国主神は眠った大神(すさのお・の・みこと)の髪を握って、部屋の垂木(たるき)ごとに結んで付けて、500人でやっと引っ張れるような大きな岩をその部屋の入り口の戸に置いて塞ぎ、そして妻である須勢理毘売命(すせりびめ・の・みこと)を背負って、その大神(すさのお・の・みこと)の生大刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)と天の詔琴(あめの・のりごと)を持って逃げ出しました。その時、天の詔琴(あめの・のりごと)が木に触れて大地が揺れるような大きな音がしました。
琴が大きな音をたてたので、
寝ていた大神(すさのお・の・みこと)は目を覚まし、音を聞いて、驚いて立ち上がったので、建物を引き倒してしまいました。ですが、柱に結ばれた髪をほどいているうちに大国主神夫婦は遠くへと逃げてしまいました。
須佐之男命(すさのお・の・みこと)は黄泉比良坂(よもつ・ひらさか)まで追って来て、遥か遠くに居る大国主神に呼んで言いました。
「其の汝が持てる生大刀・生弓矢を以ちて、汝が庶兄弟をば、坂の御尾に追ひ伏せ、亦河の瀬に追ひ撥ひて、意礼大国主神を為り、亦宇都志国玉神と為りて、其の我が女須勢理毘売を鏑妻と為て、宇迦能山の山本に、底津石根に宮柱布刀斯理高天の原に氷椽多迦斯理て居れ。是の奴。」
「お前が手にしている太刀・弓矢を持って、お前の腹違いの兄弟どもを道の行く手の山の坂におい伏せよ。道の行く手の川の背に追い払え。お前は大国主命と名乗り、宇都志国玉神(うつし・くにたま・の・かみ)となって、出雲の国を治めるが良い。お前の連れている我が娘の須勢理毘売(すせりびめ)を正妻とし、宇迦山(うがやま)のふもとに地の底の岩根までも深く宮柱(みやばしら)を埋め、高天原に氷木(ひぎ)の届くほどに屋根の高い立派な宮殿を構えて、いつまでも暮らすがいい。このクソッタレが。」
出雲は須佐之男命から大国主神に主役の交代がなされ、新たな時代へと移行します。その様子を表すように、出雲の西部は大国主神、東部は須佐之男命に関連する遺跡・神社が分布しています。これは大国主神が西からやってきて出雲と融和したからではないかと言われています。九州からやって来たという事なのでしょうか?
ともあれ、大国主神は、須佐之男命から名前を与えられ、須勢理毘売を連れ出雲に帰り、その生大刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)で八十神(やそがみ)を退け、坂の下に追いやり、河の瀬に追いやって、国を作りました。
「因幡の白兎」のくだりで登場した、八上比売(やがみひめ)はあのとき約束したとおりに、大国主神と夫婦となりましたのですが、正妻である須勢理毘売(スセリヒメ)はとても嫉妬深く、八上比売(ヤガミヒメ)は須勢理毘売(スセリヒメ)を恐れて、生まれたこともを木の股に挟んで因幡に帰ってしまいました。その子供は木俣神(きのまた・の・かみ)といいます。
ちなみに大国主神の2人だけではなく、たくさんの姫を妻とし、ありません。大国主は、須勢理毘売命(すせりびめ・の・みこと)や八上比売(やかみひめ)以外にも、多紀理毘売命(たきりびめ・の・みこと)、神屋楯比売命(かむやたてひめ・の・みこと)、沼河比売(ぬなかわひめ)、鳥取神(ととり・の・かみ)、綾戸日女命(あやとひめ・の・みこと)、真玉著玉之邑日女命(またま・つくたま・の・むらひめ・の・みこと)、国安珠姫(くに・やすたま・ひめ)、などなど、この後も延々と続く姫君を妻として迎え、子どもを産ませています。
この時代も平安時代も、男性は女性の家に通うもので、その子供も女性の家で育てられるものでした。よって嫁の父親が次世代(つまり子供)に強い影響力を持ちます。それはひっくり返すと、娘の父親が娘の価値を決めるという意味も持ちます。これは日本に限らず、全世界に共通していますが、母親の血筋が子供の格を決めるのです。
仮に大国主神が西での闘争に敗れて、もしくは他の諸事情で、出雲に流れてきたのであれば、出雲の祖神である須佐之男命(すさのお・の・みこと)の娘を正妻に迎えるのは当然の
必至。それでこそ、自分と子孫達の安全と平和が約束されるからです。
「古事記」では、この後、大国主神が八千矛神(やちほこ・の・かみ)となって、求婚しまくる話が続きますが、ここでは省略します。
ともかく、出雲の国を中心に日本国が繁栄しようとしていた頃、高天原から天照大御神(あまてらす・おおみかみ)がその光景を見ていて、御命じになられました。
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命知らす国ぞ。」
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよ・あしはらの・ちあき・ながいおあき・の・みずほの・くに)は、わたしの子供である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつ・あかつか・ちはやひ・あめの・おしほみみ・の・みこと)が統治すべきだ」と言い、天から降りることになりました。
天忍穂耳命(あめの・おしほみみ・の・みこと)は、天の浮橋(あめの・うきはし)から地上に降りる途中で言いました。
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、伊多久佐夜芸弖有那理。」
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよ・あしはらの・ちあき・ながいおあき・の・みずほの・くに)がひどく騒がしい。」
そして、天忍穂耳命(あめの・おしほみみ・の・みこと)は引き返して高天原に戻り、天照大神(あまてらす・おおみかみ)に相談しました。
高御産巣日神(たかみむすび・の・かみ)と天照大御神(あまてらす・おおみかみ)は天安河(あめの・やすかわ)の河原に八百万の神(やおよろず・の・かみ)を集めました。そして思金神(おもいかね・の・かみ)に方策を考えさせつつ、天照大御神(あまてらす・おおみかみ)は言いました。
「此の葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へりし国なり。故、此の国に道速振る荒振る国つ神等の多在りと以為ほす。是れ何れの神を使はしてか言趣けむ。」
「この葦原中国(あしはらの・なかつくに)はわたしの子の天之忍穂耳(あめの・おしほみみ)が統治する国であると言い与えた国だ。しかし、この国は乱暴な国津神(くにつかみ)が沢山いるのです。これらの神々を静かにさせるには、どの神を派遣したらよいか?」
思金神(おもいかね・の・かみ)と八百万の神(やおよろず・の・かみ)は話し合い、言いました。
「天菩比神、是れ遣はすべし。」
「天菩比神(あめのほひ・の・かみ)を派遣するべきだ!」
天菩比神(あめのほひ・の・かみ)は派遣されて、地上に降りたのですが、すぐに大国主神(おおくにぬし・の・かみ)に媚びへつらって、三年経っても高天原に経緯を報告することすらしませんでした。
高御産巣日神(かみむすび・の・かみ)と天照大御神(あまてらす・おおみかみ)は、また、諸々の神に問いました。
「葦原中国に遣はせる天菩比神、久しく復奏さず。亦何れの神を使はさば吉けむ。」
「葦原中国(あしはらの・なかつくに)に派遣した天菩比神(あめのほひ・の・かみ)が全然報告してこない。次はどの神を派遣したらうまくいくだろうか?」
すると思金神(おもいかね・の・かみ)が答えました。
「天津国玉神の子、天若日子を遣はすべし。」
「天津国玉神(あまつ・くにたま・の・かみ)の子、天若日子(あめの・わかひこ)を派遣させるべきです」
そこで天之麻迦古弓(あめの・まかこ・ゆみ)、天之波波矢(あめの・はばや)を天若日子に渡して派遣しました。
天若日子はその国に降りて、すぐに大国主神(おおくにぬし・の・かみ)の娘、下照比売(したてる・ひめ)を娶って、その国を自分のものにしようと企んで、8年経っても高天原に途中経過を報告することもありませんでした。
天照大御神(あまてらす・おおみかみ)と高御産巣日神(たかみむすび・の・かみ)はまた、諸々の神に聞きました。
「天若日子久しく復奏さず。亦曷れの神を遣はしてか、天若日子が淹留まる所由を問はむ。」
「天若日子(あめの・わかひこ)が長い間、途中経過を報告してこない。
また、どの神を派遣して、天若日子(あめの・わかひこ)が出雲(いずも)にとどまって帰ってこない理由を聞けばよいか??」
すると大勢の神と思金神(おもいかね・の・かみ)は
「雉、名は鳴女を遣はすべし。」
「雉(きじ)の鳴き女(なきめ)を派遣しましょう」
と答えました。
これを受けて天照大御神(あまてらす・おおみかみ)は詔(みことのり)して、言いました。
「汝行きて天若日子に問はむ状は、『汝を葦原中国に使はせる所以は、其の国の荒振る神等を、言趣け和せとなり。何にか八年に至るまで復奏さざる。』ととへ。」
「お前は地上に行き、天若日子(あめの・わかひこ)に状況を問いなさい。
『お前を葦原中国(あしはらの・なかつくに)に派遣したのは、その国の荒ぶる神々を言葉で説得して、合流するためだ。どうして8年経っても経過報告をしないのか?』
と問いただすのです」と言いました。
鳴女(なきめ)は天から降り、地上に到着すると、天若日子(あめの・わかひこ)の門の前の湯津楓(かつら)の木の上に止まりました。
そしてこと細かく天津神(あまつかみ)たちの言葉を伝えました。
天佐具売(あめの・さぐめ)は鳥(なきめ)の言葉を聞いて、天若日子(あめの・わかひこ)に語って言いました。
「此の鳥は、其の鳴く音甚悪し。故、射殺すべし。」
「この鳥の鳴き声はとても不吉です。だから弓で射殺してしまいましょう」
と進言すると、すぐに天若日子(あめの・わかひこ)は天津神(あまつかみ)から貰った天之波士弓(あまの・はじゆみ)と天之加久矢(あめの・かくや)で雉(きじ)を殺してしまいました。
天若日子(あめの・わかひこ)が射ったその矢は雉(なきめ)の胸を撃ち抜き、通り抜け、反対側から抜けて上へと飛んでいき、そのままの天安河(あめの・やすかわ)の河原に座っていた天照大御神(あまてらす・おおみかみ)と高御産巣日神(たかみむすび・の・かみ)のところのところに飛んできました。
高御産巣日神(たかみ・むすび・の・かみ)がその矢を取って見てみると、血が矢の羽についていました。
高御産巣日神は、
「此の矢は、天若日子に賜へりし矢ぞ。」
「この矢は、天若日子(あめの・わかひこ)に与えた矢だ」と言いました。
そしてすぐに諸々の神に見せて言いました。
「或し天若日子、命を誤たず、悪しき神を射つる矢の至りしならば、天若日子に中らざれ。或し邪き心有らば、天若日子此の矢に麻賀礼。」
「もし天若日子(あめの・わかひこ)が使命に背かずに誤らず、悪い神を射った矢がここに来たのならば、天若日子(あめの・わかひこ)に当たらない。もし天若日子(あめの・わかひこ)が邪(よこしま)な心を持っているならば、天若日子(あめの・わかひこ)に矢が当たって死ぬ」
その矢を取って、矢が飛んできた穴から突き返しました。
すると天若日子(あめの・わかひこ)が朝、寝ている床に飛んでいって、胸に当たって死んでしまいました。
また使いとして送った雉(きじ)は帰ってきませんでした。
それで今でも諺に「雉(きぎし)の頓使(ひたづか)い」というのがありますが、その起源はこの話からです。
天菩比神(あめのほひ・の・かみ)はそのまま出雲に居ついてしまい、天若日子(あめの・わかひこ)は大国主神の娘の下照比売命(したてるひめのみこと)と結婚して使命を忘れ、ついには高天原の高御産巣日神(たかみむすびのかみ)に返し矢で殺されてしまいました。
またまた天照大御神(あまてらす・おおみかみ)は、今度は一柱(ひとはしら)だけで、思金神(おもいかね・の・かみ)と神々に次の案を求めました。
「亦曷れの神を遣はさば吉けむ。」
「どの神を派遣したらいいでしょうか」
すると思金神(おもいかね・の・かみ)と八百万(やおよろず)の神々が言われるには
「天安河の河上の天の岩屋に坐す、名は伊都之尾羽張神、是れ遣はすべし。若し亦此の神に非ずば、其の神の子、建御雷之男神、此れ遣はすべし。且其の天尾羽張神は、逆に天安河の水を塞き上げて、道を塞きて居る故に、他神は得行かじ。故、別に天迦久神を遣はして問ふべし。」
「天安河(あめの・やすかわ)の上流の天岩戸(あまの・いわど)にいる、伊都之尾羽張神(いつの・おはばり・の・かみ)を派遣するべきです。もしこの神でなければ、その子供の建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)を派遣するべきでしょう。
しかしこの建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)は、天安河の水を塞(せ)き止めて逆流させ、道をふさいでいるので、他の神は進めません。なので、天迦久神(あめの・かくの・かみ)を派遣して頼みましょう」と言いました。
天迦久神(アメノカク神)を派遣して、伊都之尾羽張神(いつの・おはばり・の・かみ)に聞いてみると、
「然れども此の道には、僕が子、建御雷神を遣はすべし。」
「しかし、この道には、わたしの子、建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)を派遣するべきです」というので、天鳥船神(あめの・とりふね・の・かみ)を建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)に添えて、派遣しました。
天鳥船神(あめの・とりふね・の・かみ)と建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)の二柱(ふたはしら)は、出雲の伊那佐(いざさ)の浜に降り立ちました。
そして十拳剣(とつかの・つるぎ)を抜き、逆にして海に立てて、その剣の刃の切っ先にあぐらをかいて、大国主神(おおくにぬし・の・かみ)に問いました。
「天照大御神、高木神の命以ちて、問ひに使はせり。汝が宇志波祁流葦原中国は、我が御子の知らす国ぞと言依さし賜ひき。故、汝が心は奈何に。」
「わたしは天照大御神(あまてらす・おおみかみ)と高御産巣日神(たかみ・むすび・の・かみ)の命により、使いに来た。
お前が今、国の主として領している葦原中国(あしはらの・なかつ・くに)は、我が御子(みこ)の治めるべき国であると、このように申されて、その役目を御子に委ねられた。汝の考える所は、どうであるか。」
大国主神(おおくにぬし・の・かみ)は答えました。
「僕は得白さじ。我が子、八重言代主神、是れ白すべし。然るに鳥の遊為、魚取りに、御大の前に往きて、未だ還り来ず。」
「私には返答できません。
わたしの子供の八重言代主神(ヤエコトシロヌシ神)が返答するでしょう。
コトシロヌシは鳥を狩ったり、魚釣りに、御大の前(=美保の岬の前)に出掛けていて、まだ帰ってきません」
建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)は天鳥船神(あめの・とりふね・の・かみ)を派遣して、事代主神(ことしろぬし・の・かみ)を探して呼び寄せて、国譲りを迫りました。
すると父の大神(おおくにぬし・の・かみ)に語って言いました。
「恐し。此の国は、天つ神の御子に立奉らむ。」
「かしこまりました。この国を天津神(あまつかみ)の御子(みこ)に譲りましょう」
事代主神(ことしろぬし・の・かみ)はすぐに船を踏んで傾け、天の逆手(あまの・さかて)を打って、船を青柴垣(あおふしがき)に変えて、そこに篭もりました。
建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)が大国主神に問いました。
「今汝が子、事代主神、如此白しぬ。亦白すべき子有りや。」
「今、お前の息子の事代主神(ことしろぬし・の・かみ)が、このように言った。
他に意見を言う子供がいるか?」
すると大国主神は言いました。
「亦我が子、建御名方神有り。此れを除きては無し。」
「私の子に建御名方神(たけみなかた・の・かみ)が居ます。これ以外には意見を言う子供はいません」
建御名方神(たけみなかた・の・かみ)が、千人が引いてやっと動くような大きな岩を持って来て、
「誰ぞ我が国に来て、忍び忍びに如此物言ふ。然らば力競べ為む。故、我先に其の御手を取らむ。」
「誰が私の国に来て、忍び忍び、ひそひそと話をするのか!
それならば力比べをしよう!まず私が先に掴んでみよう!」
と言いました。
建御名方神が建御雷之男神の手を取りました。
するとすぐに建御雷之男神の手が氷柱(つらら)になり、剣刃(つるぎ)となってしまいました。
建御名方神は恐れをなして引き下がりました。
今度は建御雷之男神が建御名方神の手を取ろうと提案し、
手を取ると、若い葦を掴むように、握りつぶして放り投げました。建御名方神はすぐに逃げ去りました。
建御雷之男神は建御名方神を追いかけました。
科野国(しなののくに)の州羽(すわ)の海に追い詰めて、殺そうとしたとき、
建御名方神が言いました。
「恐し。我をな殺したまひそ。此の地を除きては、他処に行かじ。亦我が父、大国主神の命に違はじ。八重事代主神の言に違はじ。此の葦原中国は天つ神の御子の命の隨に献らむ。」
「恐れいりました。私を殺さないでください。この諏訪の土地からは出て行きません。
わたしの父、大国主神(おおくにぬし・の・かみ)の命令に背きません。
八重事代主神(やえ・ことしろ・ぬし)の言葉に背きません。
この葦原中国(あしはらの・なかつくに)は天津神(あまつかみ)の御子(みこ)に命ずるままに献上いたしましょう」
と完全降伏したのです。というわけで、長野県諏訪市には建御名方神(たけみなかた・の・かみ)いわれの神社が、たくさんあります。諏訪大社に祀られている一柱(ひとはしら)は、建御名方命なんですね。
建御名方神を従わせた建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)が、出雲に帰ってきて、大国主神(おおくにぬし・の・かみ)に問いました。
「汝が子等、事代主神、建御名方神の二はしらの神は、天つ神の御子の命の隨に違はじと白しぬ。故、汝が心は奈何に。」
「あなたの子達である、事代主神(ことしろぬし・の・かみ)・建御名方神(たけみなかた・の・かみ)の二柱(ふたはしら)の神は、天津神(あまつかみ)の御子(みこ)の命(めい)に従うと言った。お前はどう考えている?」
大国主神は答えました。
「僕が子等、二はしらの神の白す隨に、僕は違はじ。此の葦原中国は、命の隨に既に献らむ。唯僕が住所をば、天つ神の御子の天津日継知らしめす登陀流天の御巣如して、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原に氷木多迦斯理て治め賜はば、僕は百足らず八十くま手に隠りて侍ひなむ。亦僕が子等、百八十神は、即ち八重事代主神、神の御尾前と為りて仕へ奉らば、違ふ神は非じ。」
「わたしの子達の二柱の神が言ったとおりに、わたしは背きません。この葦原中国(あしはらの・なかつくに)を命ずるままに献上しましょう。
ただし、わたしの住居として、天つ神(あまつかみ)の御子(みこ)が継ぐ神殿のように、底津石根(そこついわね)に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を築いて、私を祀ってくださいますならば、私は100に足らぬ80の曲がりくねった道また道を訪ねていき、遠い黄泉国(よみのくに)に身を隠すことにいたしましょう。」
高天原に氷木(ひぎ)の届くほどに云々というのは、これは須佐之男命(すさのお・の・みこと)が大国主神に言ったことですが、というわけで、大国主神は自分を祀るために巨大な宮を作れと要求しました。結果的に建造されたのが、出雲大社なのです。
大国主神がそう言ったので、出雲の多芸志(たぎし)の浜に天の神殿を建てました。
水戸神(みなと・の・かみ)の孫の櫛八玉神(くしやたま・の・かみ)が膳夫(かしわで)となり、天の御饗(みあえ)を献上する時に、櫛八玉神(くしやまた・の・かみ)が鵜(う)となって、海底にもぐり、粘土を咥えて出て、それで天の八十毘良迦(やそびらか)をつくって、海草の茎を刈って燧臼(ひきりうす)を作り、海蓴(こも)の茎を刈って燧杵(ひきりぎね)を作り、火を起こして、言いました。
「是の我が燧れる火は、高天の原には、神産巣日御祖神の、登陀流天の新巣の凝烟の、八拳垂る摩弖焼き挙げ、地の下は、底津石根に焼き凝らして、栲縄の、千尋縄打ち延へ、釣為し海女の、口大の、尾翼鱸、佐和佐和邇、控き依せ騰げて、打竹の、登遠遠登遠遠邇、天の真魚咋、献る。」
「わたしが起こした火!高天原では神産巣日御祖神(かみむすび・の・かみ)の神殿のススが固まって垂れ下がるまで、焼きましょう!
底津石根(そこつ・いわね)に届くまで、焚きましょう。
長い縄で海人が釣った口の大きなスズキを引き上げて
載せる台がたわむくらいに沢山盛って
魚料理を献上しましょう!」
建御雷之男神(たけみかづち・の・おの・かみ)は高天原に上り、葦原中国を平定した経緯を報告しました。
